100周年ということもあり、あちこちでBMWの歴史を目にします。ディーラーでも大きなパネルを使用して展示していますが、ここではちょっと知られていないマメ知識、雑学・歴史編をお送りします。
BMWのエンブレムの由来
「そんなの知ってるよ」という声が聞こえてきそうですが、ちょっと待ってください。
「BMWのエンブレムは、元々航空機エンジンを作っていた会社だから、青空を背景に回っているプロペラを表している」
かなり有名です。しかもBMWの出自にまで言及して、しかもそれがまた正しいので広く信じられています。
ですがこれは半分間違いです。その通りですが、「青空を背景に回るプロペラ」を図案化したものではありません。これ、いわゆる後付け設定なんです。
元々はBMWの前身の一つである、Rapp motorのエンブレムがこういうものでした。
そして、BMWのあるバイエルンの現在の州の旗がこれ。昔から使われている旗です。
大分見えてきましたね。そうです。今のマークはこれを図案化したものだったんです。Rapp motorの黒丸の中にバイエルンの旗の柄。昔のバイエルン王国の旗はこれに王家の紋章が入っているものでしたので、相当歴史が古い柄です。
ではなんでそんな後付けの理由ができたのでしょう?
BMWは今でこそ高収益体質の超優良企業かつクヴァント家という安定株主に支えられていますが、もちろん昔からそうだったわけではありません。むしろかなりの経営危機に何度か見舞われています。
まずは1918年、第一次大戦でドイツ敗戦。正にその時にBMWの量産航空機エンジンの製造が開始されましたが、1922年になんと航空機エンジンの製造が禁止されます。この辺は第二次大戦後の日本と似ていますね。しょうがないのでBMWは1923年から2輪車の製造を始めます。1926年には航空機エンジン部門を切り離してBFWを設立、のちのメッサーシュミットです。有名な、第二次大戦期の戦闘機の、あのメッサーシュミットです。こうした混乱期に、航空機エンジンをアピールするためのプロモーションの文句が、後付け理由となっている、「エンブレムは青空を背景に回っているプロペラ」というものだったんですね。
そして今やこれがBMW Japanの公式見解とまでなっているというから、また事態が複雑になるんですよ。本国やアメリカのBMW、さらにはBMW博物館ですら、プロペラ由来説を否定しているんですから。
「BMW」の呼び方は何が正しいの?
時々、「BMW」を「アレは正しくは『ベーエムベー』だ!」と強く主張される方がいらっしゃいます。特にご年配の方に多いのですが、これはまあ、一時期流行ったドイツ語読みですね。愛称で「ベンベ」なんていう方もいらっしゃいます。きっと、早口のドイツ人がBMWを紹介したんでしょうね(笑)。
ですが、BMWの日本法人名は「ビー・エム・ダブリュー・ジャパン」です。ですので少なくとも日本では「ビー・エム・ダブリュー」が正式な呼び方といえるでしょう。
BMWはグローバル企業を自認しているので、世界的にも、非英語地域では「ビー・エム・ダブリュー」と読んで欲しいのではないでしょうか?
ちなみに、BMWは”Bayerische Motoren Werke”(バイエルン発動機製造)の頭文字をとったものだということはよく知られていますが、意外と知られていないのが英語での社名です。
これは”Bayern Motor Works” と、こちらもちゃんと略称がBMWになるようになっています。よく考えたものですね。
日本語だと「バイエルン発動機製造」ということは、「大阪の発動機」→「ダイハツ」のように、「バイハツ」になりますね。BAIHATSU!
ところで、ドイツ語読みといえば完全に間違っているのが”AMG”。これ、なんて読みます?結構多いのが「アーマーゲー」ですが、ドイツ語読みをするなら「アーエムゲー」ですよ?「マー」ってどこから出てきたんでしょうか?
これも正しくは「エーエムジー」と英語読みするのが正しいです。
BMWの車名の呼び方は、例えば320dでしたら、「さんにーまるでぃー」と呼ぶのが正しいです。ここだけ日本語読みですね。英語でも”three two zero” と言っています。
ちなみにアウディはA4であれば「えーふぉー」と英語読みし、メルセデスはC200でしたら「しーにひゃく」と読む人も「しーにーまるまる」と読む人もいますが、私は前者です。これは英語では “two hundred” と言っているので「しーにひゃく」だと思っていたんですが、ディーラーのセールスですら「しーにーまるまる」という方がいたのでどちらでもいいんでしょうね。もしかしたら「アーマーゲー」的な何かはずした言い方なのかもしれませんが・・・。
BMWの派生企業が東ドイツにあった?
BMWは歴史ある企業ですので、当然第二次大戦前から存在しています。
ドイツは第二次大戦後、東西に分割されるという悲劇に見舞われました。そしてドイツ全土に散らばっていたBMWの工場も東西に分かれ、行き来できなくなりました。ですが、第一次大戦からフォッケウルフなどの優秀な戦闘機を作っていたので技術は十分。その技術力に目を付けたのが占領統治していたソ連軍です。
BMWのアイゼナハ(Eisenacher)工場で、BMWの旧モデルの生産を始めます。アイゼナハ工場は元々BMWが買収したアイゼナハ車両製作所の工場でしたが、これが「アイゼナハ・モトーレン・ヴェルク」、その名も「EMW」と言います。
この後東ドイツの国営企業として東欧向けの自動車生産を行っていたEMWですが、1953年に社名をVEB・アウトモービルヴェルク・アイゼナハ(AWE)と変更して、ここにEMWの名前は消滅しましたが、その後もクルマを生産し続けました。生産していたのは東ドイツの代表的なクルマ、ヴァルトブルグ。トラバントではありません。
東西ドイツ統一後はGM傘下のオペルのアイゼナハ工場として稼働しました。・・・ってなんでBMWに戻らなかったんでしょうね?
今回はちょっと軽い読み物として記事を書いてみました。以前に書いた同様の記事がご好評頂いたので、第2弾です。
では、今回はこの辺で失礼します。ありがとうございました。