40代子持ちのクルマ好きが、愛車のBMW 320dツーリングを評価するとともに、ちょっとだけ日々を楽しくするクルマのある生活の話題をお届けします。

東名の事故に思う。

東名高速で起こった痛ましい事故に関しては連日の報道でよくご存知かと思いますが、ようやく事故の原因となった、被害車両を追越車線で停止させた車両の運転手が逮捕されました。このことに関して、少し考えたことを述べさせていただきたいと思います。

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世間に溢れる怒りの声はごもっとも。

冒頭の分の「ようやく」という表現からもお分かりの通り、私も、注意されたことに腹を立てて1.4kmに渡って被害車両を追い回して挙げ句の果てに前に割り込んで停止に追い込んだ車両の運転手が逮捕されるべきと思っていましたし、はらわたが煮えくり返る思いでした。

しかも、私は見ていないのですが、逮捕される前にテレビのインタビューに悪びれることなく答えていたというのですから想像を絶します。「自分は直接の加害者ではない」、そういう意識で自分は悪くないとでも思っていたとしたらとんでもないことです。

そもそもPAの、出口付近に停車していたことに注意されて腹を立てたということですから、開いた口が塞がりません。

結果として痛ましい結果になったからというのではなく、こうした意識のドライバーがそうこうしている、という事自体が、私の大好きなクルマという存在を汚されたような気もしますし、それ以前にクルマ好きでなくとも怒りが込み上げてくるのは当然かと思います。

人ごとではない。

この事件の報道を見た運転経験のある大抵の方が、全く同じではないにしろ同様の経験をしたことがあると思います。

かくいう私もその一人です。しかも1回や2回ではありません。高速道路で追い越しただけでも向きになって追いかけてくる輩というのはいます。流石に停止まで追い込まれたことはありませんが、数分に渡って後ろにくっつかれたり、無理やり追い越して前に出て減速されたりというのはされたことがあります。普通に3車線の真ん中を80km/h前後で走っているクルマを100km/hくらいで追い越しただけで、ですよ?なぜあなたの後ろにずっとついていかなければならないのか、と私も怒りに震えた記憶があります。もちろん、言い合いになったこともないので心の中で、ですが。

世間には、「クルマに乗ると人が変わる」という言葉がありますよね。別に人が変わっても構いません。ただ、自分が行なっている行為が、どのような結果に繋がり得るのかを想像できない人がいる、いえ、あまりに多い、というのは私が感じるところです。

私は、極端な話、クルマで走行している限りは常に、自分が被害者になるにしろ加害者になるにしろ、重大事故を引き起こす可能性がある行為をしている、と思っています。はい、「普通に走行しているだけ」でもです。

そんなこと言っていたらクルマの運転なんかできないじゃないか!とお思いでしょう。ですが、これは事実です。だからこそ制限速度があるのであり、教習所で色々と教わった安全確認の方法があるのであり、そのようにしてできるだけリスクを減らす方法がある程度確立されているわけです。

ですが教習所に教えてくれることって万能ではありません。特に私のように免許を取ってから二十数年を経ていると、教わったことは十分で無くなったりしている恐れがあります。幸いというか不幸にしてというか、私は免許証の色はブルーですので、更新のたびにありがたく講習を受講させていただいていますのである程度はアップデートしていますが、それだけでは不十分ですので、YouTubeでドライブレコーダーの動画を見たりしてケーススタディを繰り返しているわけです。まあ、そこまでしなくても少しの想像力を働かせれば結果というのは想像できるので、そうすればいいだけですが。

日本でクルマが多くの人に行き渡って身近な存在になってから大分経ちます。既に身近すぎて、クルマというのは鉄の塊が凄まじい運動エネルギーを発して動いているものであることが意識から抜け落ちているのではないでしょうか?実際、市街地を走っていると、自転車感覚でクルマを運転しているとしか思えない危険な運転をするクルマを目にする機会が多いです。

例えば、そのようなクルマが事故の原因を作っても、直接の加害者ではないので今までは事故現場からそのまま立ち去ったりして罪に問われることはありませんでした。ですが、ドライブレコーダーの普及によって、現在は事故原因が明らかにできるケースが増えており、なおかつこのように「事故の原因を作ったけれど直接の加害者でないクルマ」が容易に特定できるようになっています。

これって画期的なことですよね。個人的には、私も数回経験したことがある、高速道路上で絡んでくるクルマというのは厳罰に処して欲しいと思っていますので、歓迎すべきことだと思います。

ただ、果たして裁けるのだろうか?

実はこれが素朴な疑問なんです。今では道交法だけでなく自動車運転死傷処罰法があるので、それなりの罰は下せると思います。

思えば、この法律も尊い犠牲の上にようやく制定されたものでした。1999年の東名飲酒運転事故。これもある意味では当時常態化していた飲酒運転厳罰化するきっかけとなりましたね。この事故の衝撃は私は忘れていません。

ですが、本当にそれで十分なのでしょうか?私は法律を勉強したわけではないのでよくわかりませんが、法律で「未必の故意」という言葉があるのくらいは知っています。

未必の故意とは、罪を犯す意志たる故意の一態様であり、犯罪の実現自体は不確実ではあるものの、自ら企図した犯罪が実現されるかもしれないことを認識しながら、それを認容している場合を意味する。故意は、刑法において「犯罪を犯す意志」(刑法38条1項)をいい、過失犯として法律に特別に規定のある場合を除き、犯罪の成立に必要とされる。

(引用元:弁護士ドットコム

今回のケースはこの未必の故意が成立していることは素人でも容易に理解できます。つまり、確実に犯罪は成立しているわけです。ここで、いくら「そんなつもりはなかった」「まさかトラックが追突してくるなんて」と言ってもダメなんです。なぜなら、免許を取得している=基本的な交通ルールを知っている、ということになりますから。そして、高速道路本線上は駐停車禁止であることは常識ですから。

この未必の故意では、犯罪の実現は不確実であっても罪に問えることになっています。それだけに適用は慎重であるべきだと思いますが。今回のケースのように重大な結果を招かなくても未必の故意に問われる可能性はあるということですよね。この事件の判決が、今後の自動車運転における嫌がらせ行為の犯罪としての成立要件を示す基準となるのは間違い無いでしょう。

それにしてもやるせないのは、犠牲が出ないと厳罰化を求める動きが出ないことです。これは被害者にしてみれば本当に無念はいかばかりかと思うと・・・。ですが、流石にそのような論調は今はまだないですが、犠牲が出る前に先回りして法律を整備して厳罰に処することができるようにする社会はもっと異常です。このような急進的な管理社会では、人間のモラルがかえって下がるようになるのは、フランス革命におけるジャコバン派の恐怖政治期の歴史が証明しています。

そう、「モラル」なんです。自分が第三者から見たらどのように映るんかを想像し、その第三者の立場が自分だったらその行為にどう思うのかということを考えることがまず必要です。もっとも、今回の犯人は、自分がしたことを第三者にやられたとしても腹が立つと思うであろうことをした(嫌がらせですからね)ので救いようがありませんが、例えば私が遭遇したケースでいうと、100km/h制限のところで80km/hで走行車線を走行しているのは「お先にどうぞ」の意思表示に他なりません。そこで追い越したら急速に追いかけてきて嫌がらせをする、というのは、客観的に自分が見えていない証拠ですよね。

ただのお戯れ?BMWをからかってやりたい?それこそ私がもっともクルマの運転中忌むべき行為です。声を大にして「ふざけるな!」と言いたいです。先にも申し上げたように、クルマは重い鉄の塊、一度何かあったら常に大ごとなんですよ。運転において「ちょっとふざけて」ということは有り得ないです。

こうした当然のモラルが取り戻されないと、かえってクルマが運転しにくい社会になっていきます。今回のことは氷山の一角で、年々街ゆくクルマの運転マナーも運転技術も一昔前に比べて落ちているのは、私が当ブログで何度も何度も申し上げている通りです。

今やクルマは生活になくてはならないものになっている地域があるのは承知であえて申し上げますが、適性検査と運転免許の試験をもっときめ細かく何年かに1回行い、免許更新時の講習もその結果によって分けたほうがいいのではないでしょうか?場合によっては実技の講習もあり、しかもそこで落とされる、ということも、ごく稀にあっていいのではないかと思います。ちょっと荒療治ですが。

教習所や免許の更新の講習というのは間違っても人間形成の場ではありません。モラルが低い人でも免許が与えられます。そして一度免許を取得してしまうと、更新の研修を受けたって運転技術が上がるわけでもありません。ここでいう運転技術というのは、ステアリング操作などではなく、客観的に見て自分の運転は安全かどうか、や周囲の状況を的確に把握して最善の行動をとるための判断力の養成という意味です。

つまり、現在の制度では、こうしたモラルの低い行為を行うドライバーを適切に選別して再教育できないのが問題点なんですよね。

ですので、今回の件をきちんと立件し、法の裁きを下すことを大いに期待しています。見せしめではないですけど、嫌がらせ行為を減らすためにはもっとも効果的かと。

ただそれで、残されたお嬢様二人のご両親が帰ってくるわけではありません。そう考えると怒りが新たになってきますが、私も他人事とは思わず、自らの運転を今一度省みて、何気なくやっていることが他のドライバーに嫌な思いをさせていないだろうか、目に見えない危険を産んではいないだろうか、と考え続けていきたいと思います。

末筆になりますが、お亡くなりになられたご夫婦に心から哀悼の意を捧げます。

では、今回はこの辺で失礼します、ありがとうございました。